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防衛大学校
ラグビー部部歌
部歌誕生秘話

ラグビー部歌
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一 英風白き 波馳せて
   鶯声末き 三浦の岸に
  集いし 我らフィフティーン
   見よ見よ 青春のこの血潮
  いざ立たん いざ立たん
   ゴール 求めて
  ああ 小原台
    ラガー ラガー ラガー
   防衛大ラガー
二 海風潮の 香を乗せて
    秋月宿る 小原の丘に
  集いし 我らフィフティーン
    見よ見よ 青春のこの血潮
  いざ行かん いざ行かん
    スクラム 組みて
  ああ 小原台
    ラガー ラガー ラガー
   防衛大ラガー
かくして部歌は誕生した
7期 石田 潔
 1962年春のシーズンまで、防大ラグビー部は試合後のミーティングでの交歓で、いつも学生隊歌を合唱していた。相手の大学は伝統的なラグビー部歌であった。「海青し・・・新たなる日の本のため」と歌いながら、できれば「防大にもラグビーの歌があればいいなあ」という気分があった。「防大ラグビー部創部10周年を機に部歌を創作すべし」の声が酒酌み交わしながら盛り上がった。いつものように副将の江勝典が音頭をとって「マネージャーの仕事や、石田、何とかしろ」ということになった。主将岡本康行はもとより、渡辺長治監督も大乗り気だ。
 それにはまず歌詞を作らねばならない。後日みんなで検討して七期生の作詞とするという条件で、石田が引き受けた。そして旬日、階段教室の黒板に石田案の部歌を書いて、7期生10人ほどに意見を求めた。しかし、どう見ても詩心のある面々ではない。「ウーン、いいんじゃないか」などと丸投げの気配。ただ一つ、「ラガー」の繰り返す回数を2回にするか3回にするか、阿部暉、大森康正、荒谷紀邦あたりから意見が出て議論になった。結局3回に納まり、歌詞は原案通り決定された。
 監督の了解を得た数日後、海上自衛隊東京音楽隊の演奏会が講堂で開催中だと知らされて、チャンスだと思った。早速会場の前に行ってみると、演奏会は終了し音楽隊員を載せたバスが発進せんとしている。それに手を上げて止めてもらい、バスに乗り込んで「隊長はおられますか」と聞いた。「私だ」と右側の座席より声が上がった。片山正見一等海佐であった。
 どういう挨拶をしたかは失念したが、折りたたんだ歌詞の紙を広げながら「ラグビー部の部歌です。作曲をお願いします。対戦相手の大学との交歓のために必要なんです」と口走った。いまだに冷や汗の出る無礼千万であった。しばし歌詞を眺めておられた隊長は「元気な曲がいいんですか」と笑顔でおっしゃった。「ハイ、ラグビーですから」と馬鹿な返事をしていた。
 それから2ヶ月ほどして石田宛てに部歌のテープが届いた。東京音楽隊の演奏で男性歌手の吹込みがなされていた。これを繰り返し聞いて、歌ってみんなで覚えたのであった。これが例えば作曲の音符をいただいたとしたら、部歌としてマスターするのは容易ではなかっただろう。作曲し、編曲し、演奏し、独唱まで入れていただいた隊長のお心配りに今更ながら頭が下がる。片山一佐は東京音楽学校(現東京芸術大学)のご出身で、この年副隊長からご昇進されたばかりの気鋭の隊長なのであった。
 まさに地獄に仏のような幸運に恵まれた。「スマートで目先が利いて几帳面」の見本のようなシーマンシップを見せていただいた。これに対するラグビー部からのお礼は、監督の電話とマネージャーの手紙を付した防大の菓子折りであった。このテープは学生食堂の朝、:昼の食事時に披露して反響があった。何しろ防大校友会の「部歌」なるものの第一号だった。他の運動部等も部歌を検討するきっかけになった。このテープが、何時からか行方不明になっているのは残念無念である。